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患者さんストーリー

DBSで薬の副作用が軽減、目指すは卓球世界一

斉藤 尚道さん

38歳でパーキンソン病と判明

体の異変に気づいたのは36歳の時、仕事中に作業伝票を書こうとしても手が動かず、おかしいと思ったのが最初です。当時は自動車用品店で販売の仕事をしており「仕事のストレスが原因だろう」と考えていました。ゴルフや卓球などいろいろな運動をしてみたのですが、良くなるどころか、不調を感じる日が多くなっていきました。「なにか別の病気ではないか」と不安になって、少し大きな病院を受診したところ、パーキンソン病と診断されました。

最初に異変を感じてから約2年後、ようやく下った診断が難病に指定されているパーキンソン病だと分かった時は、非常にショックでした。その後、医師から大学病院を紹介され、本格的な薬物療法が始まりました。仕事は営業職から内勤に異動するなどして、しばらくは続けていたのですが、字を書くことも困難になり退職しました。

薬の効果が切れて動けず、交差点の真ん中で立ち往生

薬は、初めは副作用の少ないものを処方されました。発症から10年ほど経った頃から徐々に量が増えていき、多い時は9種類の薬を約30錠飲んでいました。薬の量が多いのと、朝、午前中、昼、午後3~4時、夕食後の1日5回、時間通りに飲むだけでも、私には大変なストレスでした。

特に、レボドパを飲み始めてからは、薬の副作用で体の一部が勝手に動くジスキネジアに悩まされました。レボドパはもう25~26年服用していますが、特にここ数年は副作用が強く、ベッドの上でもがき苦しむほど激しい、体の勝手な動きに耐える生活が続いていました。

強い副作用が出ると分かっていても、薬を飲まないわけにはいきません。うっかり忘れて薬の効果が完全に切れると、一歩も動けなくなるからです。外出時は特に注意をしていたのですが、交差点の真ん中で突然動けなくなり、警察に救出されたこともありました。

救出まで7時間半!自宅で倒れDBSを決意

DBS(脳深部刺激療法)を受けようと決めたのは、自宅のトイレから出て倒れたまま動けず、7時間半後に救急車で病院に搬送されたことがきっかけです。その時は、本当に1ミリも動くことができませんでした。幸い、言葉は発することができたので「助けてください!」と叫び続けて、近所の方に気づいてもらえたのですが、発見までに7時間半という時間を要しました。もし、あのまま発見されなければ、どうなっていただろうと思うと、今でもとても怖いです。

DBSは、以前から主治医に勧められており、実は手術適応を判断する検査も受けていました。結果は「適応」でしたが、私は手術を受ける気は全くありませんでした。たとえ効果がある治療法でも、体の中に機器を植え込むことや手術に強い抵抗感があり、正直なことを言うと、ずっと避けていた治療でした。

激しく、つらいジスキネジアが軽減された日常生活に喜び

2019年 世界大会の銅メダル

あれだけ避けていた手術でしたが、治療の効果はすぐに表れました。手術前は、自宅のわずか5~6mの距離のトイレに行くにも車いすを使って移動していましたが、手術の翌日には、自分の足で歩けたのです。いまは毎日、自分の足でトイレに行けることがとてもうれしいです。

DBSを受けて、悩みの種だったジスキネジアがほぼなくなりました。今も多少の震えはありますが、以前のような激しく、つらいジスキネジアは治まりました。手術後はレボドパの量が約1/4に減り、他の薬もかなり減ったので、服薬のストレスも軽減されました。

先日、主治医の紹介でDBSを検討している患者さんに、私の実体験をお話する機会がありました。術前に抱いていた手術への恐怖心や、術後に薬の副作用が軽減された喜びなどをお伝えしたところ、手術を受けられ、現在は仕事にも復帰されたそうです。これからも機会があれば、自分の正直な気持ちや体験を語り、同じ病気に悩む方の少しでもお役に立てればいいなと思っています。

卓球を続けたいから、治療も前向きになれる

病気と長く向き合う中で、生きがいとなっているのが卓球です。中学2年から50年以上、ずっと続けてきました。病気が悪化して身体が思うように動かず、卓球から離れていた時期もありますが、少し動けるようになった時に、卓球部のOB会に参加してみたら、意外にうまく打てたんです(笑)。

「病気になっても卓球はできる!」という手応えを感じ、すぐに練習を再開しました。私にとって卓球は唯一の趣味で、卓球を少しでも長く続けたいという一心で、治療にも前向きに取り組むようになりました。

2010年に千葉県で実施された全国障害者スポーツ大会の東京都代表に選ばれたことで自信がつき、大会出場という新たな目標ができました。その後も東京、和歌山大会に連続出場し、2019年にはニューヨークで開催された世界大会で銅メダルを獲得しました。

現在は、パーキンソン病の仲間に卓球を教えたり、大会に向けたトレーニングに力を注いだり、次こそはと世界一を目指して練習に励んでいます。最近は、卓球世界大会の日本への誘致活動にも参加し、東京大会の実現に意欲的に取り組んでいます。こんなふうに長い時間卓球と向き合える日々を取り戻すことができて、本当に良かったと思っています。

2019年 世界大会で獲得した銅メダルを首から下げる斉藤さん

*上記の患者さん体験談は、実在する患者さんに対し、メドトロニックがインタビューを実施し、書き起こしたものであり、疾患および治療に対する個人の感想となっております。他の方が同じ治療を受けた場合に、必ずしも同じような治療結果を得たり、感想をお持ちになることを保障するものではなく、個人差があることを予めご了承下さい。

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